読書『人生を半分あきらめて生きる』Ⅴ

成功はあきらめる。そのぶん、何を求めるか。

~社会的に失敗し、絶望した人間こそ、そこから生きる意味を求めて生き始める。~

~私たち日本人に今、求められているのは、「成功/失敗」次元から「意味/絶望」次元へと人生の尺度をシフトさせることではないか。「私は、この人生を生きるために生きてきたのだ」「私はなすべきときに、なすべきところで、なすべきことをしている」という「生きる意味と使命の感覚」が満たされて生き方をしていくことです。~

生きる意味。自分がこうして生きているのにどんな意味があるのだろうか。それは難しい問いかけだな。職場に行けば自分のやることはたくさんある。自分がいなければ、他の人に負担がかかる。他の人に負担をかけないためにも、生きて働く意味がある。

ほぼ毎週、孫や旦那を連れてやってくる娘たち。彼らにおやつや食事でもてなす。きっと楽しみにしている事だろう。私がそれをしなければ、嫁に負担がかかる。彼らを喜ばせる。それも生きる意味だろう。生きる意味とは、自分の中だけで終わらないことだ。他人との関係の中でしか成り立たないものではないか。

~あなたはこの人生で、この世界から、何をすることを求められていますか。あなたのことを本当に必要としているのは誰ですか。その人はどこにいますか。その誰かや何かのためにあなたにできることには何があるでしょうか。~

自分の中で終わらない、他人との関係で成り立つ。ということは、「世界から求められている」「他からの求めに応じる」ということだ。生きる意味とは、誰かのためになるということだ。

成功とか、自己実現とか、もういいじゃないか。誰かの役に立っていれば、それでじゅうぶんじゃないか。