読書『わたしが正義について語るなら』Ⅱ

聞きなれない言葉が出てきた。

~この世界は「虚仮の一念」と言って、そのことばかりやっていれば、なんとかはなるものです。自分に才能がなくても虚仮の一念でやればいつかは花が咲く。~

「虚仮の一念」の後に、「岩をも通す」と続く。自分は「虚仮の一念」なんてないな。才能はもちろんないし、一つに絞って腰を据えて取り組むこともできない。

~何かをやりたいと思ったら、他の教養もつけないとダメ。ひとつだけだとそこから出られません。続けていくためには他のものが必要です。~

こっちの方が共感できる。以前は、自分の時間のほとんどを仕事に費やしていたけど、今や読書や映画に充てている。教師の力量を高めようとは思わない。人間的に成長したい。

~人生の楽しみの中で最大最高のものは、やはり人を喜ばせることでしょう。すべての芸術、すべての文化は人を喜ばせたいということが原点で、喜ばせごっこをしながら原則的には、愛別離苦、さよならだけの寂しげな人生をごまかしながら生きている。~

きっと作者も、人生は基本的に寂しいもの、はかないものだと捉えているはずだ。その中で作者自身が著す作品も「ごっこ」に過ぎないと思っているのだろう。だが、寂しい人生を生き抜くにはごっこが必要なのだ。

自分も、少しでも、一つでも人を喜ばせよう。そして人がしてくれたことに対して、もっと喜ぼう。先日、娘が父の日のプレゼントをくれた。きちんと喜んだだろうか。

~人生なんて夢だけど、夢の中にも夢はある。悪夢よりは楽しい夢がいい。すべての人に優しくして、最後は焼き場の薄けむり。誰でもみんな同じだから焦ってみても仕方がない。~

これまた絶望的だ。だが、人に優しく、そして人を喜ばせること。それが楽しみとなるように。