読書『不幸な国の幸福論』(加賀 乙彦)

不幸な国の幸福論 (集英社新書) – 2009/12/16 加賀 乙彦 (著)

我が国は幸福の国だろうか、不幸な国だろうか。前者とはいいがたいだろう。自殺者が多い。経済は上向かない。まあ、もっと広く世界を見渡してみればもっと大変な国や地域はあるだろうから、不幸な国とも言い切れないのだが。

~日本人は概して自分の頭で考え抜くという作業が苦手です。しかも現代社会の有り様が私たちから「考える」という習慣を奪いつつある。~

考えるとは「知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる」こと。全くその通りだ。自分自身、毎日の中で「頭を働かせる」ということはあっても、「考える」という機会はほとんどない。「考える」には、腰を据えての一定の時間が必要なのだ。

~社会や人間や自分自身について繰り返し考えることで、私たちは世の中の仕組みを知り、人への理解を深め、自分の性格傾向に気づくことができる。~

「考える余裕がない」「考える時間が無い」という言い方をした。が、私は比較的に時間の余裕があった休職中も、考えることから避けていた。本ばかり読んでいた。自分自身を見つめ直すのにふさわしい時間であったのに。自分自身と向き合うのが嫌、苦手なのだ。

~しっかりと目を開き耳をそばだてて広く世の中を見渡し、社会や人間について考えていかないと、その時周りに流布している浅はかな言葉や価値観に振り回され、右往左往してしまいがちです。そして必要以上に自信を失って、自分は価値のない人間だと思い詰めたり自暴自棄になったりしかねない。~

考える力がない、考え抜くのが苦手、というのはわが国の「同調圧力」の強さと関係あるのではないか。とある国では初期の学校教育で、徹底的に自分について考えさせられるそうだ。「自分は何者であるか」と。自分という人間が明確化されれば、振り回されることも、自信を失うこともないだろう。

しかしわが国では、学校教育でまず、「みんな同じ」と、合わせること、同調することを強いられる。我々は子どもに「もっと自信を持って」と働きかけるが、自分というものの形成が不十分なのだ。