読書『マジメすぎて、苦しい人たち』Ⅳ

何やら大きな話になってきた。

~人間の体には生まれながらに身体に常に一定の状態に保とうとするホメオスタシス(恒常性)という力が備わっている。ある宇宙の秩序、生命原理によって確立されているシステム。人間は生まれながらにして、原始的に宇宙と繋がり生かされている。~

恒常性という力が、無理している状態を危険に感じシグナルを発する。それが適応障害なのかもしれない。働きすぎて無理をしてストレスを溜めることは、宇宙の秩序に反する、その生命がふさわしく生きていないということだ。

~自分という存在は、宇宙まで含む生命力に満ち溢れた大きなシステムの一員である。小さい存在ではあるが、紛れもなく自然世界の構成員のひとりである。~

よく「社会の構成員の一員として」という言葉を耳にする。我々も子どもを「社会人として立派に生きていけるように」と職務を果たしている。「社会」は前回挙げた「ロゴス」「理性」に近しい。

~社会の子としての自分ではなく、自然の子としての自分を大切にしていく。歴史的な生命を生きているという感覚、大きな流れの中を生きているという感覚に浸ってみる。「長い歴史のうちの、ほんの1日、たまにはさぼって遊びに行くか」という気持ちを持てるでしょう。~

その社会の一員であるのは、ほんの一瞬であるかの短い時間だと言える。人間として、生命としての命をつなぐ立場でもあるということか。

~社会規範にのみ従って生きることの不自然さ、内なる自己の心の声に素直に生きる心地よさを知ることが、目の前のストレスを乗り越えていく根源といっていいのです。~

自分は社会の中でしか生きていないのか、という視点。社会の中では及ばない自分自身という存在があるのではないかという意識。自分のすべてをそうやすやすと社会に引き渡してはならないのかもしれぬ。