読書『ファシリテーション革命』Ⅲ

ファシリテーションの技が書かれている。

~押せば自然に抵抗力を生み、押し返してくる。引けば自然に引き込んで参加を促す。そそのかす、プレッシャーをかける、集中を促す、挑発する、などが「押す」。待つ、引き出す、などが「引く」。この「押したり(プッシュ)引いたり(プル)」のいい按配がファシリテーションの技の一つだろう。~

読み直してハッと思った。これは教師の技でもあるのだ。こういった技が教師の個性に依拠されていてばかりではいけない。「自分はそういうキャラなのだ」として押してばかり、または引いてばかりではいけない。日々、子どもを前にして、どちらか一辺倒では立ち行かなくなることを痛感している。変幻自在でありたいと思う。

~今自分が良かれと思ってやれることを精一杯やるしかない。それ以外に、一体どうすることができるのだろうか。拙くても、見えていないことがあって配慮が足りないと指摘されても、それはそれで仕方がない。今の自分の現実である。謙虚に反省し続けるのは大切だが、後悔して投げ出すことはない。失敗は成功の母でもある。たくましく学び続けよう。~

ファシリテーションどうこうというわけではなく、こういった言葉に励まされる。我々は、失敗しないように努力、研鑽しなければならない。しかし、失敗はしてしまうのだ。それが現実なのだ。そして批判もされるだろう。非難も浴びるだろう。それもまた受け入れ、学び続けるしかないのだ。だから、自分は失敗した者に対し、寛容でありたいと思う。

~ワークショップの場で起こることは、あるいは人生で起こることは、すべて受け取る側に準備ができていれば学びになる。すべてのことはメッセージになりうる。他の人のせいにして非難しているだけよりも、その状況全てから何を学べるのかを考えた方が建設的ではないだろうか。~

どこかで失敗するんだろうな、と思っていること。自分はもうここまではできるようになったのだ、だから失敗はしない、と思い込まないこと。思えば、そういう慢心が失敗を招くのだ。どうせ、どこかでつまずく。その時は他人のせいにすることなく、それを学びの場にしよう。