読書『君の働き方に未来はあるか? 労働法の限界と、これからの雇用社会』Ⅴ

次は休暇について。

~日本は法律上はもっと多くの年次有給休暇を取得できるはずなのですが、労働者の方で法律で認められている休暇を完全に取得しようとしないのです。~

私は昨年度、40日あるうちのほぼ半分を取得した。上限20日は次年度持ち越しなので、今年も40日近くの年次有給休暇を取得できる。昨年度同様に、半分を取得することが目標である。そうしなければ20日分の財産を捨てるようなものだ。

~イタリアでは労働者の義務は契約の範囲内だけのことを指し、それ以上は「サービス」しません。一方、自分の権利はしっかりと行使します。一定の年次有給休暇は権利として認められています。権利である以上、取らないという選択肢はありません。同僚に迷惑がかかるかどうかも気にしません。ましてや企業の業務の都合などに気を遣うことはないのです。~

ただ、その目標もそんなに容易ではない。子どもが学校に来ている時間帯に休暇を取ることは現実的には難しい。なぜなら、他の先生に迷惑が掛かってしまうからだ。また、自分がいない授業をどうするか、その計画や準備を立て、補欠の先生に示しておかねばならない。その労力も結構大変なのだ。「私、今日休むからね、適当にやっといて~」とは言えないのだ。

~労働者にいかに法律上の権利が認められたとしても、その権利を行使しなければどうしようもありません。絶対に雇用が守られるとわかっていれば、日本人だって権利を行使するはずです。将来に何らかの不安があるからこそ、あえて権利を行使せず、企業に忠誠心を示すということが起きてしまうのです。きちんと休むことがプロとしての働き方のけじめなのです。~

管理職は権利の行使を認めるが、「権利を行使しなさい」とは勧めない。だから、権利というのは、その人が持っていて、その人が知識としてわかっていて、その人が発動するものなのだ。周囲への気遣いや圧力が権利の行使を妨げる。もしや日本ほど権利意識の低い国はないのかもしれない。