読書『君の働き方に未来はあるか? 労働法の限界と、これからの雇用社会』Ⅲ

労働契約というものがある。私は、これについて明るくない。

~イタリア人に言わせれば、自分たちは労働契約上、やらねばならぬことはやっているのであり、別にそれ以外のことをしなくても文句を言われる筋合いはないということでしょう。~

自分はいったい、誰と、どんな、労働契約を結んでいるのだろうか。管理職や市教委に確認してみようかと思ったこともあるのだが。

~チームで守備をするという意識はなく、個人の守備範囲は決まっていて、その集合がチームの守備力になる。日本の労働者と欧米の労働者の違いの縮図がある。つまり労働契約において自分が何をやるかがはっきり決まっている。あるいは給料は何に対して支払われるのか、という点で本質的な違いがある。~

私の主な守備範囲は担任。担任という立場を命じられているだけで、業務内容はあいまいだ。担任業務というのは教材研究までを含むと、とても勤務時間内では終わらない。だが、勤務時間というのも労働契約だから、私はその中でなんとかやりくりしている。

~日本の正社員は命じられたことは何でもやるという労働契約で働きます。いかなる職務に従事するかは企業の指揮命令に委ねられている。~

私も管理職が指示をするのなら、どんな業務でもやらねばならないと思う。ただし、勤務時間内にしかやらない。その業務が時間内にできなければ、それは「できませんでした」と報告すればいいと思っている。でも今のところ、なんとかなっている。

~海外諸国では客よりも自分の労働契約が優先というのが常識です。自分のやるべきことは労働契約で定まっている職種と勤務時間に限定されていて、勤務時間外の仕事は自分が行う義務のある仕事ではないのです。~

「客よりも労働契約が優先」というのが大切だと思う。だが、学校現場では「子どものために(自己を犠牲にする)」という風潮がある。我々が労働条件の改善を求めると、管理職が伝家の宝刀かのようにこの言葉を振りかざすこともある。