読書7-12『不幸論』Ⅱ

今週が始まったが、目の回るような忙しさである。時間内に仕事を片付けたいからなおさらである。

幸福、不幸、真実というものについて。

~真実を知ると不幸になるから、われわれは幸福になるために、正確に言い直せば、幸福であると思い込むようになるために必死の思いで真実を隠して生き、そして死んでいくことを決心した。~

~個人は精神的にも肉体的にも資質や能力は徹底的に不平等であり、しかしこうした不平等な個人に待ち構える運命も恐ろしく不平等である。~

真実というのは、きっと個々人の資質能力、そして運命が不平等であるということを言うのだろう。能力のない人からすれば、同じ人間なのになぜこのような違いをつけられたのかと絶望するだろう。悲運な出来事に遭遇した人も、怒りの感情になるだろう。

~真実の残酷さを知れば、不幸であることは自然なのではないか。とすれば無理に幸福を装って欺瞞的に生きるより、あっさりと不幸を自覚して生きる方がいいのではないか。その方が「よく生きる」ことができるのではないか。~

「不幸であることが自然」というと、仏教の「四苦」を思い出す。「生老病死」すなわち、生きることも、老いることも、病むことも、死ぬことも苦しみなのだ。生きること自体が苦しみなのだ。それが先人の教えだと思うと、妙に納得している。そもそも苦しい、そもそも不幸。そう思って生きること。それでいいと思うが、筆者の言う「その方がよく生きることができる」というのはなぜだろうか。(R5.1/16記)

映画『泣いたり笑ったり(2019)』

泣いたり笑ったり(2019)CROCE E DELIZIA/AN ALMOST ORDINARY SUMMER 監督 シモーネ・ゴダノ

『シスター』鑑賞後、早く帰っても仕方がないので、3本目を鑑賞する。ロビーの自販機でホットの缶コーヒーを購入して。

この映画は、そんなに期待しなかっただけにとても面白く感じた。ストーリーもコメディだから面白いのだが、それ以上に登場人物そのものが面白いのだ。特に、親戚らしい男。いつも缶ビールを片手に語るのだ。「努力は最小限に」とかなんとか、妙に説得力がある。なんとなく感じてはいるのだが、やはりイタリアという国はそうなのだろうか。勤勉や真面目を美徳とする我が国とは大違いだ。

他の人物も自由気ままに愛人をつくるなど、大した差はない。基本的に、思うがままに生きればいいのさと教えてくれる。

ストーリーより、物語そのものが楽しいのだ。3本目が楽しくてよかった。(R5.1/15記)

映画『シスター 夏のわかれ道(2021)』

シスター 夏のわかれ道(2021)我的姐姐/SISTER 監督 イン・ルオシン

座席に着いてから弁当を広げる。おかずは、いつものようにご飯に埋め込んだ鰯の甘露煮、冷蔵庫に残っていた冷凍食品のポテト、グラタン、からあげ。一切お金はかけずに結構いいものになった。

本作は評価も割と高く、感動を期待していた。だが自分にとってはそれほどでもなかった。理由はキャスティングだ。ヒロインが、まさに小学生の高学年にしか見えない。そもそもの童顔、そして短い髪。「看護師として働き、大学院を目指す女性」にはどうしても思えない。中国で最も人気のある若手女優らしいが、本作に限っては不向きだと思う。

ヒロインの親戚、加害者との関係、一人っ子政策もからんでいるらしいが、話がぶれているようで、複雑化していて、正直眠くなってしまった。最後はそれなりに感動はしたが、ヒロインのワンピースが似合わなさ過ぎて興ざめした。子役の泣く演技は上手だった。(R5.1/15記)

映画『土を喰らう十二ヵ月(2022)』

土を喰らう十二ヵ月(2022)監督 中江裕司

朝から雨。今日は映画をたくさん観ようと思い、本作をチェックしたらわりと高評価。鑑賞を決意してすぐに冷蔵庫の残り物を弁当に詰めて、マイカーで隣市のミニシアターへ。いつものように最前列を陣取った。

題名からわかるように、料理を中心にした映画である。自分も日常的に料理をするので、とても興味深く観た。干し柿、取れたてのタケノコの煮物、自家製の梅干し、白菜の漬物。近所の山や畑で採れた四季の食材を調理し食べる。まさに、そんな旬の料理が主役なのだ。強い印象を持ったのは、自家製の味噌。味噌汁にするだけでなく、野菜につけて食べるなど貴重さがよくわかる。

都会を離れて、こんな暮らしもいいなあと思ってしまう。ところで、人間の主役の沢田だが、素食をし、「生きるとは活動すること」と言いながら、そう思えない体型だったのが気になった。(R5.1/15記)

読書7-12『不幸論』(中島義道)

不幸論 (PHP新書) 2002/9/30 中島義道  (著) 

「幸福論」という本はたくさんあるが、「不幸論」はない。「著者は、長年の哲学的考察の果てに――どんな人生も不幸である――という結論に辿りつく」とあった。

この度、職場の同僚が結婚した。カードにメッセージを書くことを求められ、文言が思いつかず、仕方なく、当たり障りのない「幸せな家庭を築いてください」のようなことを書いた。

~ミルは青年の私に、幸福になりたかったら、幸福を直接求めてはならないことを教えてくれた。ほかのことに熱中している時に、フッと感ずる満足感、それが幸福なのである。~

よく「幸せになりたい」という言葉を聞く。私は「なる」という言葉に違和感を持つ。幸せは「なる」ものではないと思うのだ。「なる」ではなく「来る」。幸せは来るものであり、そして過ぎ去る。

「禍福は糾える縄の如し」。このことわざが一番しっくりくる。幸福も不幸も、やってきては過ぎ去る。だから幸福になることはできないし、逆にずっと不幸なわけでもない。もちろん、幸福を求めても意味がないと思う。

~この世では幸福はいつも真実を食い尽くす。真実を呑み込み、胃袋に入れて消化しようとする。幸福な人の眼は真実を見ていない。彼は真実を観ることを諦めて虚偽を見ている。~

筆者が、幸福、不幸、真実をどう考えているか。それは次にしたい。(R5.1/13記)

映画『カンフースタントマン 龍虎武師(2021)』

カンフースタントマン 龍虎武師(2021)龍虎武師/KUNGFU STUNTMEN 監督 ウェイ・ジェンツー

今日もジョグ通勤。これで3日目である。10分割り振りをとって4時前に職場を出るので、4時半には帰宅できる。ネット閲覧をしたり八つ橋やリンゴを食べたりして6時過ぎにマイカーで隣市のショッピングセンター付設シネマに赴いた。鑑賞前に自販機カップコーヒーを飲み、お菓子も持ち込み、万全の状態で臨んだ。

サイトでは高い評価、カンフーなんてアクション映画も好きだからきっと面白いだろうと臨んだ作品、予想に反して、ドキュメンタリーだった。

ブルース・リーはドンピシャな世代だ。逆にブルース・リーを知っているからこそ、後のジャッキー・チェンなどに心底楽しめないタイプなのだ。本映画は、そんな主役級を取り巻くスタントマンたちや、カンフー映画全体の隆盛や衰退を描いている。もともとカンフー映画マニアに特化した映画だったのかもしれない。勢いで鑑賞を決めてしまったが、やはりある程度の下調べは必要だな。

作品にも出たドニー・イェンの『イップマン』は感動した。あんなカンフースターがまた出てこないかな。(R5.1/12記)

 

読書7-11『ゴールをぶっ壊せ』Ⅱ

夢という言葉がやたら目に付く。

~「夢を持てない」なんて簡単に言うな。夢を見つけて、それを追いかける。それだけが、頭上の空を覆う「閉塞感」という雲を追い払う、唯一の方法なんだ。~

~描いた夢のために、今日何をするべきか。このことを考えることこそが大切なのです。~

筆者はきっと若い人へのメッセージとして書いているのだろうな。夢はさておき、「閉塞感」が人々の頭上を覆っていることには同感だ。コロナ禍、物価高、ウクライナ情勢、円安など、数え上げればキリがないほど問題は山積みで、先行き不透明な世の中である。この閉塞感を打開するのは、本当に「夢」しかないのだろうか。

~どんな最低の状況にいようと夢を持つことはできるのです。一人ひとりが自分の夢に向かって、一歩一歩進んでいくことが、社会のブレイクスルーにつながる。~

~最初から「才能がない」と思い込み、走り出す前に夢を諦めたら、努力することを止めてしまったら、そこでおしまいになってしまう。一度きりの人生、それではもったいないじゃありませんか。~

自分にとって夢とは何だろう。今のこの年齢で、夢を持ち、それに向かって努力するとか、一歩ずつ進んでいくとか、考えられない。ただ思い浮かんだのは、先日、孫と遊んでとても楽しかったことだ。こんな時間がこれからもできるだけ続くといいなと思ったし、また、孫たちも、娘たちも、きっと夢を持つことができるし、夢を見ているに違いない。そう考えると、私にできることは、彼らの夢に関わること、彼らの夢を応援すること、それが自分にできることではないだろうかと思った次第だ。(R5.1/11記)