映画『1640日の家族(2021)』

1640日の家族(2021)LA VRAIE FAMILLE/THE FAMILLY 監督 ファビアン・ゴルゲール

台風接近のため、計画していた旅行をキャンセルした。ぽっかり空いたスケジュール。丸一日の雨模様、しかも3がつくサービスデー。絶好のミニシアター日和である。珍しくマイカーで現地に向かった。

この作品、とても素晴らしい。我が国ではあまりなじみのない里親制度を題材にした物語だ。我が子と同じように、里子を育てる。しかも4年半も。当然、情が移ってしまうだろう。その子への愛情があるゆえに、行き過ぎた判断もしてしまうのだ。里子を生みの親に返される里親の気持ちが演技から痛いほどに伝わってくる。が、それ以上に凄いのが里子の演技だ。いや、とても演技だとは思えない。

劇中、「商業主義の奴隷」という言葉が2度出てきた。子どもも言っていたから、その奴隷とならぬように両親が家庭内で警鐘をならしていたのだろう。商業主義がはびこることで家庭が危機を迎えるのだ。きっとその対極にあるものが、信仰なのだと読み取った。

別れのシーンはもちろん感動的だが、終盤、旦那が里子に話す言葉が心に刺さり、えぐられた。悲しいことがあったらどうするのか。きっとそれは私にもできるはず。日々を生きるということは、悲しみを乗り越える力を養うことでもあるのだ。(R4.9/23記)

読書6-20『男はなぜこんなに苦しいのか』Ⅶ

ストレスに強くなる方法も最後にしたい。

~「言葉」に注目してみたい。現状の捉え方をポジティブとユーモアで表現するという姿勢である。どんな状況でもそれをまず客観的に捉えてからポジティブに表現していくことで自己確認をし、自分の言葉と発言により元気にやっていこうと動機づけをしているといえる。~

どこかに書いてあった。心無い者から突然卵を投げつけられた。それを怒るのではなく「ベーコンも投げてくれよ」と言ったのは、確かアーノルド・シュワルツェネッガーだったか。

私など、子ども相手でも、意地になって本気で怒ってしまうことがある。なんと狭い了見だろうか。どんな状況でもポジティブにとらえ、ユーモアで返せる人に憧れるし、尊敬する。

特に、ユーモアって世知辛い昨今で特に必要なのではないだろうか。私も意識はしているものの、どことなくぎこちない。もっと生活全般に余裕を持つことが必要なのだ。

~あなたがほっとできてリラックスしていい気分になれること。あるいは集中して嫌なことを忘れられること。そんな気分になれる場所やことをリストアップしてみてください。ただし酒、たばこ、ギャンブル、歓楽街以外で。これらが回復力の処方箋である。~

仕事が終わりパソコンに向かってネットサーフィン。近所の喫茶店でスポーツ紙や車情報誌を読むこと。映画を観ている時。グランパスの応援をしている時。ううん、こんなものか。

~ストレス要因があっても「こういうことは起こりうることで、しかし自分は何とかやっていけるはずだし、このことは大変でも意味があることだ」と思い、挑戦だと受け止めて乗り切っていけるような資質なのである。~

ストレスから逃げてばかりでもいけない。自分を鼓舞し、言い聞かせ、勇気づけ、乗り切ることも重要なのだ。

これでノート6冊目が終了した。(R4.9/21記)

読書『男はなぜこんなに苦しいのか』Ⅵ

ストレスを溜めないためにも承認欲求から距離を置かなくてはならない。

~どのようにすれば承認欲求ゲームから脱却できるのだろう。まずは更にもっと高い地位や収入など外的条件を求め続けるのを止めることだろう。そして外に向けて求めるエネルギーを別のものに向けてみる。それをするプロセスに喜びを見出せることをする、ということである。~

承認欲求など突き詰めてもキリがない。上を見ればキリがないのだ。ストレスを溜めるほどに求めてはならない。もう十分、認められている。要するに「足るを知れ」ということなのだ。自分が、自分が、というエゴイストではだめなのだ。

~結果として人に褒められることではなく、それをしているプロセス、努力のプロセスが苦痛ではなく、大変でも困難でも楽しいということが必須だ。好きなことをするのは困難であっても苦痛にはならない。~

~努力していることが嫌ではなくむしろ楽しいことが自己実現へのステップである。結果がどうあれまず自分のしていることに満足するのは必要条件である。~

プロセス重視、楽しむということが、自己実現へとつながる。ところで、自己実現という言葉を私も間違って使っていた。自分の夢や目標を叶えることが自己実現だと思っていたが、そうではないのだ。色々調べてみると、自己実現とは心理学の用語であり、「ありのままの自分の姿で好きなことをし、それが世のため、社会のためになる状態」を言うのだ。やはり自分視点で終わっていては、利己的に生きていては、いつまでたっても自己実現はできない。(R4.9/20記)

 

 

 

 

読書『男はなぜこんなに苦しいのか』Ⅴ

9月前半の3連休最終日だが、台風14号がいよいよ接近している。

ストレスへの耐性を持つことと、マズローの欲求五段階説と関わりがあるようだ。それは生理的欲求、安全的欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求の五段階となっている。

~承認欲求が満たされないと無力感や嫉妬、劣等感が起こる。この欲求レベルにとどまり続けるとマズローは危険だとしている。いつまでも権力や地位を求め続けるからである。~

わたし自身は承認欲求が湧かない。承認欲求を追い求め、結局痛い目に遭ったからだ。もうこれ以上の地位や評判を求めても意味がない、自分の地位や成果など、どうでもいい、と思っているのだ。ある意味、諦めてしまっているのだ。

自分の経験から言えることは、私も「いい先生になりたい」「子どもや保護者から認められたい」と思っていたが、その思いが強いとストレスもたまるのだ。ストレスをためながらあくせくやってもいい結果は出ない。

~より高次の欲求、つまり自己実現の願望に向けて人生を深めていくことの大切さについてマズローは語っている。人は本来、本当に自分に適し、自分足り得るものがないと不満に陥る。この「本来自分足り得るもの」を目指すのが自己実現願望である。~

今は、自分のことはもういいから、人のためになりたい、なれればいい、役立ちたいと思っている。仕事も、勤務時間内という条件を守ったうえで、献身的に働いているつもりである。それが満たされた時が自己実現なのだろうか。

~社会的地位と社会承認欲求を満たした後、次のステップの自己実現願望を達成できるのはわずか2%。~

私が調べた資料によれば、「自己実現の欲求」の上に「自己超越の欲求」というものがあり、それが2%と記されている。(R4.9/19記)

グランパス『0-0 ホーム広島戦』

J1 第30節 9/17(土)19:00 豊田スタジアム

ミニシアターからの帰り道、スポーツショップに立ち寄る。そろそろユニホームを買い替え時かなと思っていたのだ。少し前のタイプを半額で買うか、夏季限定ユニを新品で買おうかと思案しつつ、店に入るや否や、なんと30周年記念ユニが目に飛び込んできた。デザインも落ち着いていて、中年の私が来ても違和感はない。しっかり試着して、清水の舞台から飛び降りるように購入した。選手と同じユニフォームで試合観戦するなんて、何年ぶりだろうか。水曜と同じ食堂でカツ丼を食べ、スタジアムに到着。

水曜でよい動きをしていた内田、永木がスタメン。疲れていたのか、丸山ではなくチアゴになっていた。これは狙われるな、と一抹の不安。が、この日のチアゴは今季一番の出来ではなかったか。絶好調の広島相手なので、負けは覚悟していたが、ゲームの主導権を渡さない内容だったと思う。

相馬、森下、そして仙頭らが広島より多くのチャンスを演出していた。が、あと一歩が足りない。我が軍はチャンスメーカーばかりでゴールハンターがいないのだ。シーズン終了期が近づき、3バックはようやく形になってきたが、そもそもワントップ、その永井にボールがなかなかいかない。そのあたりは来シーズンの課題かな。

帰りに日帰り温泉施設へ行ったら、12月まで改修工事だと。おとなしくそのまま家に帰りました。(R4.9/18記)

映画『ゆるキャン△(2022)』

ゆるキャン△(2022)監督 京極義昭

実は道中でマスクを落としてしまい、仕方なく強盗のようにタオルを顔に巻いての鑑賞だったのだ。座席で途中で買ったおにぎりを食べ、メインの本作に臨んだ。コミックが原作だそうだ。

松竹のトレードマーク、実写の富士山からそのままアニメの富士山に変わる面白い演出。メンバーの一人が名古屋勤務で、ビルや地下鉄などのなじみの風景に引きこまれる。そして、各務原、大垣、犬山、志摩など、登場人物の名前にこれまたなじみのある地名が使われていたのだが、作者の出身地なのだろうか。

出てくる女の子だれもが可愛いのだが、キャンプというものが本当に好きなのだな。男っ気とかないのだが、大丈夫かな。キャンプ縛りなので、大きな盛り上がりはないのだが、こちらも大きな期待はせずに、それこそ、ゆるく鑑賞していました。

それでも「日常から離れて自分を見つめなおすことができる」というキャンプの魅力をきちんと文章化していて、そこに大いに納得したのでした。仕事柄、たまにキャンプをさせられてきたので、プライベートでキャンプをしようと思わなかったが、少し興味が湧きました。(R4.9/17記)

映画『戦争と女の顔(2019)』

戦争と女の顔(2019)DYLDA/BEANPOLE 監督 カンテミール・バラーゴフ

台風が近づいているが、雨は降らないと信じて隣市のミニシアターまで、自転車で向かう。途中でスーパーに寄り、お気に入りの天然酵母パンと昼食用おにぎり2つを購入。本作は評価はよくないが、消去法で鑑賞を決定。

戦争の悲惨さを女性の視点から、という作風かと思ったら違った。本作の特徴は、色である。まさに赤と緑の対比。赤は戦争、緑は平和と言っていいだろう。2人の女性の状況がまさに色によって表される。先に緑になった女性。服装ですら緑を基調にする。対して赤から緑に変わろうとする女性。変わりたいのに、変われない。そこには差別の壁が大きく立ちはだかる。

そして、戦争は人を殺し合うこと。それに対し、平和とは、子どもをつくること。その対比もくっきり表現されている。

戦地妻という言葉があるのだ。我が国の慰安婦問題が思い出されたが、どこの国も多かれ少なかれ類した問題を抱えていたのかもしれない。まったく感動はないが、心にずっと後を引く映画です。(R4.9/17記)